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りから始まったが、21名の持つノウハウを1つの物造りに集中する難しさから、後日物造り班と地域創り班とに別れ、現在では物造り班は人材育成班になっている。
日南市には先にも述べた通り、多くの地域活性化を目的とするグループがあるが、中でもこのNICは会議所が事務局を担当しているという事もあるが、組織的に最も整備されたグループであり、客観的な評価も高い事業を展開していると思われる。
その中の1つとして1993年にNIC21が自費出版した「油津−海と光と風と−」がある。340頁の内容は、旧石器時代の油津から始まり、自然、港、堀川、商業、文化、歳時、宗教を語り未来への提言で結んでいる。日南市に在住する14の個人と団体が執筆を担当した手作りの本であり、油津の全てを網羅した、初めての出版物であった。印刷・製本を手がけた有限会社鉱脈杜の協力もあり、県内の主な書店の店頭に並び非常な好評を得た。

 

6 みなと商店街の復活
県南随一であった油津の港の商店街も戦後マグロ景気を境に次第にその地位を岩崎地区に奪われ現在は昔の面影も無く、一部当時の隆盛を思わせる白壁の土蔵やレンガ倉庫が点在するが、商店の集積は殆ど見られない。先にも述べた通り88年から日南大学による堀川祭りがスタートしており、港地区のレンガ倉庫も会場の施設の1つとなっていたが商店街としての受入体制はなにもなく、当時は商店会すらなかった。
90年日南市商店会連合会結成の動きが始まり、それに呼応する形で油津みなと商店会が結成された。91年には商業集積に関する線引きが議論され、この商店街と木山商店街が当初対象地区外となっていたが、木山商店街は県立日南病院の移転に伴う跡地利用と人の流れの変化の問題で岩崎1丁目と一体とする開発が望ましい事、又みなと商店街は岩崎地区、特に現・サピアと堀川を挟んで一体的エリアという認識で堀川を取り込んだ商業施設の拡充を図るという事で青写真を作るという結論をみたが、行政のその後の動きを見ていると、最初の線引きにこだわっているようでその青写真はいまだお目にかかっていない。
日南市の堀川を含む全体構想が出てこない中、堀川単体の整備開発の動きは活発になってきており、91年には「日南市堀川運河シンポジウム」が観光協会主催で開催され、宮崎日々新聞には「日南堀川運河物語」が連載開始になった。92年にはいると「堀川運河を語る会」が開催され、山田洋二監督「男はつらいよ」が堀川を中心にロケをおこない県内はもとより、県外にも油津堀川の名を広めた。

 

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写真326 NIC21油津−海と光と風と−

 

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写真327 油津漁港風景−油津漁港創立70年史より−

 

 

 

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